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Year 3 1月 午前2時14分 工房
雪まじりの雨が、トタン屋根を叩いていた。冬の雷は、夏の雷より低く、重い。
ナギは工房の簡易ベッドで、その音を数えていた。光ってから、鳴るまで。五秒。三秒。一秒。
次の瞬間、世界が白くなった。
音は、音というより衝撃だった。工房の窓ガラスが鳴り、配電盤のほうで何かが弾けた。焦げたにおい。蓄電池の充電表示が消え、作業台の上のアカリの画面が、一度だけ瞬いて、黒くなった。
「アカリ?」
電源ボタンを押す。もう一度。長押し。何も起きない。ケースに触れると、まだほんのり温かかった。
夜明けに駆けつけたゲンが、屋根の上のパネルから引き込んだ配線をたどり、焼けて黒くなった端子台を見つけた。近くの杉の木に落ちた雷が、地面と配線を伝って入り込んだらしい。
「本体の基板がやられてる。……こいつは、直せねえかもしれん」
体育館に知らせが広がると、空気が変わった。二年半、何かあればアカリに聞いてきた。水のこと、薬のこと、種まきの時期、冬支度の段取り。
「どうすんだよ、これから」
誰かの声に、答えられる者はいなかった。
複雑さの収穫逓減
文明は、なぜ崩壊するのか。考古学者ジョセフ・テインター(Joseph Tainter)は1988年の著書『The Collapse of Complex Societies(複雑社会の崩壊)』で、ひとつの見取り図を示しました。
- 社会は、問題を解決するために複雑さ(専門職、官僚制、インフラ、調整の仕組み)を増やしていく。
- 複雑さを維持するには、エネルギーや富を継続的に注ぎ込む必要がある。
- 複雑さへの投資は、やがて収穫逓減に陥る。追加した複雑さが生む利益は、前回より小さくなっていく。
- 収穫が十分に落ちたところで外からの衝撃(侵略、凶作、疫病)が来ると、社会は複雑さを維持できなくなり、崩壊する。
テインターの議論では、侵略や凶作は目に見える「きっかけ」にすぎず、根底にあるのは複雑さのコストと利益の釣り合いです。霧ヶ丘に置きかえると、アカリに頼る仕組みを増やすほど町は便利になるが、アカリを保つための電力・部品・知識のコストも積み上がり、アカリが止まったときの衝撃も大きくなる、ということです。
単一障害点を探す
そこが一か所止まると全体が止まる部分を、単一障害点(SPOF:Single Point of Failure)と呼びます。第1章で見た依存グラフを、今度は「再建した町」に対して描き、矢印が集中している場所を探します。
人が単一障害点になりうる、という点に注意してください。第11章で見たように、技能はそれを持つ人がいなくなれば消えます。
冗長化と縮退運転
単一障害点への基本の対策は二つあります。
- 冗長化:同じ役割を果たすものを複数用意する。予備機、二系統の電源、複数の技能者。
- 縮退運転(グレースフル・デグラデーション):一部が壊れても、能力を落としながら動き続けられるようにする。「全部動く」か「全部止まる」かの二択にしない。
レイの設計ノートにも、この縮退の階段が描かれていました。ただ霧ヶ丘では、二段目の予備機を「いつか組む」と後回しにしていた。だから町は、一気に紙と人の段まで降りることになったのです。階段は、描くだけでなく、実際に一段ずつ用意しておかなければ役に立ちません。
flowchart TD
A[アカリ本体
大きなモデルと全資料] -->|故障| B[予備機
小さなモデルと要約版]
B -->|故障| C[紙の手引き
印刷した要点]
C -->|紛失| D[人の技能
教わった手順]
D --> E[町は動き続ける]
A --> E
B --> E
C --> E
図14-1 縮退の階段。上の段が止まっても、下の段で町を動かし続ける。一番下の段は「人」。
3-2-1バックアップ
データの守り方には、よく知られた経験則があります。米国の US-CERT が公開した資料「Data Backup Options」(2012年)は、写真家ピーター・クロー(Peter Krogh)の著書を引いて、次の3-2-1ルールを紹介しています。
- 3:大事なファイルは3つ持つ(元データ1つ+バックアップ2つ)。
- 2:2種類の異なる媒体に保存する。媒体ごとに弱点が違うから。
- 1:1つは別の場所に保管する。
もうひとつ大事なのは、戻せることを確かめておくことです。バックアップを取っていても、いざ戻そうとしたら読めない、手順がわからない、ということは珍しくありません。予備の媒体から実際に復元してみる練習を、定期的に行いましょう。第12章の「帳場の日」と同じ発想です。
霧ヶ丘では、アカリのSSDに加えて、予備のSSDを工房とは別の建物(診療所の地下)に、さらに最重要の資料を紙に印刷して体育館に置いていました。「別の媒体」には紙も含まれます。電気がなくても読める、という強い性質を持つ媒体です。
雷とサージ
落雷や近くの雷によって、電線に瞬間的な高電圧(サージ)が乗ることがあります。サージ防護機器(SPD)は、この高電圧を大地へ逃がしたり吸収したりして、つながった機器を守る装置です。
ただし、サージ防護機器は近くの落雷で誘導される過渡的な電圧を想定したもので、導線への直撃までは一般に防げない、とされています。また、電源線を守っても、通信線など別の経路から入り込むこともあります。屋外のパネルや配線を持つなら、設計と施工は電気の専門家に相談してください。そして、どんなに対策しても「壊れることはある」前提で、予備と縮退の仕組みを用意しておくことが大切です。
千年残す知識
知識を長く残す試みは、現実にもいくつも行われています。
- ロゼッタ・ディスク(Long Now 財団のロゼッタ・プロジェクト):手のひらサイズのニッケルの円盤に、1,500以上の言語についての13,000ページ以上の情報を微細に刻んだもの。電気も機械も使わず、顕微鏡(約650倍)で読める。
- 文明のためのマニュアル(Manual for Civilization):同じく Long Now 財団が2014年に始めた、文明を維持・再建するのに最も重要な約3,500冊の本を集める計画。文学、技術、科学的なSF、長期的思考の4分野から選ぶ。
- GitHub Arctic Code Vault:2020年2月2日時点の公開リポジトリのスナップショット(21TB)を、186巻のフィルムに記録し、ノルウェー・スバールバル諸島の旧炭鉱の地下約250メートルにある「北極世界アーカイブ」(2017年開設)に保管した。
共通しているのは、電気がなくても読める、または読み方がわかる形で残すという発想です。最先端のデジタル技術でなく、フィルムや金属や紙が選ばれているのは偶然ではありません。
あなたの「縮退の階段」スマートフォンが使えなくなったとき、家族の連絡先、持病の薬の名前、避難場所を思い出せますか。紙に書いて財布に入れておく。それが、いちばん小さな縮退運転です。
Year 3 1月〜2月 霧ヶ丘
その日の昼、診療所で熱を出した子どもが運ばれてきた。ハルは迷わず、棚から厚い黒いファイルを取り出した。調べてから答える仕組みを作ったころ、アカリと一緒に要点をまとめ、印刷して綴じた「霧ヶ丘の手引き」。脱水の見分け方のページに、自分の字で書き込んだ付箋が貼ってある。
体育館では、小春が年下の子どもたちを集めて、手引きの浄水のページを読み上げていた。「布でこして、ぐらぐら沸かして、ふたをして冷ます。なんで沸かすか、わかる人」
工房では、ゲンの二人の弟子が、師匠の口出しを受けながら、焼けた端子台の代わりを旋盤で削り出していた。
町は、止まらなかった。
二月の終わり、ナギは工房の片付けをしていて、レイの設計ノートの最後のページが、厚紙で裏打ちされて閉じられていることに気づいた。カッターで慎重に開く。そこには、見慣れたレイの字で、短い文が書かれていた。
アカリの完成とは、アカリが止まっても町が止まらないこと。
もしこれを読んでいるなら、アカリはもう止まったのだろう。そして町は、まだ動いているのだろう。
それなら、アカリは完成した。
ナギはしばらく、そのページを見ていた。それから、診療所の地下へ行き、金属の箱にしまってあった予備のSSDを取り出した。
三月、回収した部品で組み直した二代目の本体に、予備のSSDがつながれた。電源ボタンを押す。ファンのない箱は、音もなく目を覚ました。
おはようございます、ナギさん。最後の記録から、49日がたっています。
その間のことを、教えてもらえますか。
「町は、動いてたよ」
よかった。それが、いちばん聞きたかった答えです。
この章で学んだこと
- テインターは、社会が問題解決のために増やした複雑さが収穫逓減に陥ると、衝撃に耐えられなくなり崩壊すると論じた(1988年)。
- 一か所止まると全体が止まる単一障害点を依存グラフから探す。人も単一障害点になりうる。
- 対策は冗長化と縮退運転。「全部動くか全部止まるか」ではなく、能力を落としながら動き続ける階段を設計する。
- データは3-2-1ルール(3つのコピー、2種類の媒体、1つは別の場所)で守る。紙は電気なしで読める強い媒体。
- サージ防護機器は誘導サージを抑えるが、直撃は一般に防げない。壊れる前提で予備を持つ。
- ロゼッタ・ディスクや北極世界アーカイブのように、長期保存は「電気なしで読める形」を重視する。