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Day 1 15:20 旧・霧ヶ丘第二小学校 体育館
体育館には三十人ほどが集まっていた。毛布、カセットコンロ、ペットボトル。誰かが持ってきたラジオは、雑音しか拾わない。
一度だけ、雑音の奥から声が浮かんだ。「……太陽の大規模な爆発による磁気嵐で、各地の変電所の変圧器が……復旧の見通しは……」声はすぐに、また雑音に沈んだ。
大型の変圧器は、壊れると交換に数か月以上かかることがあります。予備は少なく、ほとんどが受注生産だからです。電気はすぐには戻らない、と考えて動いたほうが安全です。確信度:中。根拠:過去の磁気嵐と大規模停電の記録。
ナギは舞台の端に座り、膝の上でアカリの画面を開いていた。小学生が二人、のぞき込んでくる。
「それ、AI? ネットないのに動くの?」
動きます。考える仕組みと、本の代わりになるデータを、この箱の中に持っているからです。
「へえ。じゃあ電気、戻せる?」
ナギが答えに詰まったとき、背後で鉄の工具箱が床に置かれる重い音がした。
白髪を短く刈った男が立っていた。作業着の袖に油の染み。川向こうで小さな町工場をやっていた葛城ゲンだと、ナギは後で知る。
「AIで文明を再建、か。体育館の入口で誰かがそう言ってたぞ」
ゲンは胸ポケットから、短くなった鉛筆を一本取り出した。
「お嬢ちゃん。その箱に聞いてみな。これ一本、作れるかって」
作れません。 正確に言うと、この町の誰も、一人では作れません。木材、黒鉛、粘土、塗料、消しゴムのゴム、金具。材料は世界中から来ていて、それぞれに別の産業があります。確信度:高。
ゲンは少し意外そうに眉を上げた。
「なんだ、正直じゃねえか。じゃあ文明の再建なんて無理だろ」
鉛筆を一から作ることは、無理です。 でも、この町には今、たぶん数万本の鉛筆があります。私たちが最初に作るべきものは、鉛筆ではありません。
「……じゃあ、何だ」
それを一緒に考えたいのです。葛城さんは、何ができる方ですか。
誰も鉛筆を作れない
ゲンの挑発には、有名な元ネタがあります。1958年にアメリカの著述家レナード・リードが書いたエッセイ『わたしは鉛筆(I, Pencil)』です。鉛筆が一人称で自分の生い立ちを語ります。
鉛筆の木はカリフォルニア北部やオレゴンの杉。芯の黒鉛はセイロン(現在のスリランカ)、混ぜる粘土はミシシッピ。消しゴムには、オランダ領東インド(現在のインドネシア)の菜種油と、イタリアの軽石。金具は亜鉛と銅の合金である真ちゅう。そのうえで鉛筆はこう言います。
「この地球上の誰一人として、わたしの作り方を知らない」
伐採する人は黒鉛の精製を知らず、黒鉛を掘る人は塗料の調合を知りません。それでも鉛筆は安く大量に作られます。知識がたくさんの人と組織に分散していて、それが取引でつながっている からです。
リードはこの話で市場の力を語りました。この本が注目するのは、裏返しの事実です。つながりが切れたら、ありふれた物ほど作れなくなる。第1章で見た連鎖故障は、物の製造でも起きます。
トースターを一から作った人
それを実際に試した人がいます。英国のデザイナー、トーマス・スウェイツです。王立芸術大学院(RCA)の学生だった彼は、量販店で5ポンドもしない一番安いトースターを、原材料から自分の手で作ろうとしました。
鉄は、英国の古い鉱山(出版社の紹介ではウェールズ)で集めた鉄鉱石を自宅で製錬した。電子レンジを炉の代わりに使った。
プラスチックは、原料の石油から作ろうとした。
市販品と同じにするには100近い素材が必要だった。だから鉄・銅・ニッケル・雲母・プラスチックの5素材に絞った。
かかったのは9か月と1187.54ポンド。できあがったのは「手作りの、生焼けのような模造品」でした。スウェイツ自身も、電車に乗ったりWikipediaを使ったり「かなりずるをした」と認めています。コンセントにつなぐと、電熱線は自分の熱で溶けてしまいました。この記録は2011年に本になっています。
ここから学ぶこと 一人の人間が、現代の工業製品を原料から作るのは、ほぼ不可能です。失敗の原因は才能ではありません。必要な能力の数 が多すぎるのです。
文明とは「能力と知識のネットワーク」
教科書は文明を、都市・文字・国家・分業などで定義します。再建する立場からは、もっと実用的な見方があります。文明とは、物を作り、維持し、直すための能力が、互いに依存し合っているネットワーク だ、という見方です。
このネットワークには三つの層があります。
物は能力から生まれ、能力は知識と人から生まれます。そして能力そのものも、別の能力に依存します。鉄を製錬するには炉が要り、炉を作るには耐火材が要り、耐火材を焼くには燃料が要ります。
flowchart TD
K[知識 本・図面] --> S[技能 人]
S --> C[能力]
T[道具] --> C
E[エネルギー] --> C
C --> P[物 製品・部品]
P --> T
P --> E
図2-1 能力は知識・技能・道具・エネルギーがそろって生まれる。作った物が次の道具やエネルギーになり、輪が回る。
この輪がどこかで切れると、文明は「在庫を食いつぶすだけの状態」になります。再建とは、この輪を小さく閉じ直すことです。
再起動の最小セット
では、最初に閉じ直すべき輪はどれでしょうか。この本では、霧ヶ丘の人たちが使う作業用のリストとして、次の七つを置きます。学術的な定義ではなく、優先順位を考えるための道具です。
最後の「決め方」を入れているのには理由があります。技術がそろっても、配分で揉めれば共同体は持ちません。文明は技術であると同時に、人が協力し続けるための仕組み でもあります。
石器時代からではなく、廃墟から
ゲンの鉛筆の問いに、アカリが「作るべきは鉛筆ではない」と答えた理由がこれです。
宇宙生物学者ルイス・ダートネルは2014年の著書 The Knowledge (邦訳『この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた』河出書房新社、2015年)で、文明崩壊後の再建を思考実験として描きました。彼は、生き残った人が社会の廃墟から食料・材料・道具を回収できる「猶予期間」 があると指摘します。ただしその窓はいずれ閉じ、その後は食料も道具もエネルギーも自分たちで作るしかなくなります。
この考え方は、再建の戦略を大きく変えます。
回収できる物は作らない。 鉛筆、鍋、電線、太陽光パネル。町には何年分もある。
猶予期間のうちに「直す・作る」能力を育てる。 在庫が尽きる前に、修理と生産の輪を閉じる。
何がどれだけあるかを数える。 在庫がわからなければ、猶予がどれだけ残っているかもわからない。
「最小限の機械のセットから文明を組み立て直す」という発想は、現実のプロジェクトにもあります(第5章で紹介します)。何が必要かを一覧にして、依存関係を見える化する 。それが再建の第一歩です。
Day 1 16:05 体育館
ゲンはしばらく黙っていた。それから工具箱の留め金を外した。
中には、使い込まれたノギス、テスター、圧着ペンチ、きれいに巻かれた電線が入っていた。
「旋盤なら四十年回してきた。電気工事の免状もある。……電気さえありゃ、たいていの物は直せる」
ありがとうございます。記録します。 【能力台帳 No.1】葛城ゲン:旋盤加工、電気工事、機械修理。必要なもの:電力。
「台帳?」
在庫台帳と同じです。この町で一番貴重な在庫は、人ができることですから。 次は、看護師さんがいると聞きました。明日、話を聞かせてもらいましょう。
ゲンが鼻を鳴らした。笑ったのだと気づくまで、ナギには少し時間がかかった。
「機械に命は預けねえ。だがな、帳面をつけるやつは信用できる」
この章で学んだこと
鉛筆のようなありふれた物でさえ、世界中に分散した知識と能力のつながりで作られている(リード『I, Pencil』1958年)。
トースターを原料から一人で作る試みは、9か月と1187.54ポンドをかけても市販品に及ばなかった。必要な能力の数が多すぎるからだ。
文明は「物・能力・知識」の三層の依存ネットワークとして見ると、再建の計画が立てやすい。
崩壊後には廃墟から回収できる猶予期間がある(ダートネル)。回収できる物は作らず、その間に「直す・作る」輪を閉じ直す。
人ができることは、最も貴重な在庫である。
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